第2回たくみの会報告

2000年2月10日(木)

午後7時〜午後9時30分

<参加者>

大西、玉置、牧野、酒井、浅井、神戸、鈴木、前田、柴山、後藤、松浦

 

<議題> 玉置より→小牧中学校・小牧小学校インターネット同好会開催にあたってのご意見を

     大西より→「学校における情報活用の視点」の提案ならびに教師の関わり方についてのご意見を

 

<内容>

議題1  玉置より→小牧中学校・小牧小学校インターネット同好会開催にあたってのご意見を

資料   小牧中学校・小牧小学校インターネット同好会チラシ

協議  (議題に関して出た話題を羅列しました。今後同様なことを考えるときのキーワードになるはず)

    サポートという言葉が重みを感じる。子どもたちと一緒に何かやりましょう、気楽にやりましょうといった雰囲気が伝わるといい。

    インターネットが目的になるのか。インターネットが初めにありきでよいのか。

    同好会を地域でやるなら、楽しさやおもしろさの共有がされることが一番。何をキーワードにすべきか考えるべき。インターネットにこだわらない。

    地域ネットのありがたさは何だろう。ローカルになればなるほどリアルになる。どんな情報が必要か。例えば、どこのお肉が安いかといった情報。お母さんのレポート。学校で何かあったよ、あそこのクラスでこんなことがあったよ、といった情報がもっといい形で伝わってくるといい。初めに井戸端会議ありではないか。

    地域の共有のネタを作りましょう、電子かわら版をつくりましょう、ではどうか。

    先にホームページを作ってイメージ化をしたらどうか。器にいろいろなものを入れる会を立ち上げる。具体的なものの提示をしたらどうか。

    役立ち感 人の役に立ちたい ボランティアとしてやりたいという気持ちがあればいい

    地域ネットの構築につながるのかもしれない 生活に密着したネット (例)リサイクル情報

    軽くやれて拘束感がなくて、迂闊なことができる

    自分が飛びつくとしたら、

スーパーの値段情報、新しくできたお店へのおさそい サービス 割引情報

子育てネット 応急措置 自分の子どもがいじめにあったときの相談 医者の情報 

子どものこと 家族の情報がほしい

妊娠中は自分の部屋にこもってしまう 同じ様な経験をしている人が地域にいるはず 話し相手がほしい

    何でも相談室 地域故にリアル感がある

    バーチャルな世界だけでは嫌だ 直接会いたい 遊びたい 例:キャンプにともに出かける仲間づくり

    地域のリアリティーを増す コミュニティーを増す

    クローズにしてはいけない 男の人の問題ではないという意識

    共通項をあまり作ってはいけないのではないか。リアルであればあるほど幅広く。

    仕掛けをつくりましょう、広い意味での子育てネット 「地域で作る子どもネット」

 

<議題2>

議題2  大西より→「学校における情報活用の視点」の提案ならびに教師の関わり方についてのご意見を

資料   学校教育における情報活用の視点

協議  

      大西提案

    「情報活用」と言われるものは、あまりにも技術論に偏っているのではないか。「情報収集」は「情報の評価」、「情報加工」は「付加価値の創生」、「情報発信」は「他者からの評価」という視点のシフトが必要ではないか。

    極端なたとえとなるが「情報収集」という言葉からは、単に情報を集めればいいととらえられる可能性がある。集めた情報を評価すること、自分の必要な情報と合致しているかどうかの判断等まで含めていることを見失いがちである。検索の仕方を教えればいいというのものではない。

    「情報加工」という点でも同様である。調べた内容を単にべたべた貼ってある作品は飽きる。子どもたちは何がいいたいのかが見えてこない発表の連続。付加価値をどうつけるかがポイントではないか。

    ホームページを作って発信したら、それで満足。それだけでは子どもたちの姿は見えない。「情報発信」というのは何のためにしたいのか。一方通行を求めているわけではないはず。双方向のやりとりがあってこそのものだ。自分の思い入れがあって、それを評価してもらいたいはずだ。思い入れのない形だけの発表が多すぎないか。

    真の「情報活用」が語られない。何のためにどうしたいかが明確でない。情報活用という点を大切にするならば、情報に関わるときの最終目標を明確にしておきたい。つまり伝えたいことがあるから情報を活用するのである。

    では、どのようにすれば、自分の上記の思いが具体化していくのか、現在悩んでいることである。意見をいただきたい。

 

      協議内容(議題に関して出た話題を羅列しました。今後同様なことを考えるときのキーワードになるはず)

    現在の悩みは、なぜすばらしい授業なのかが分析されていないということと同様と考える。教育学は学問ではないと言われるゆえんである。

    教師のかかわり方の普遍化を求めたい。原則があるのではないか。これが今は見えない。

    「何がしたいのか」と問いかける。目的が分からなければいいアドバイスができない。

    子どもが自己実現したということを意識させることではないか。

    何がしたかったのか=自分探しではないか

    子どもたちの面白いという言葉の裏、楽しいという言葉の裏にあるなぜ楽しいのかを教師が意識させることが大切

    総合的な学習をやってみて、自分探し、自分として何が良かったのかと思えないとだめだ。分かったと思っていたことが分からなかったという貴重な経験を積ませたい。

    交流がないといけない。人からどう見られているか、みんながどう見ているかが大切。

    例えば「できるだけたくさん質問をしてもらえるような発表をしよう」というかかわり方はどうだろう。そして、発表のなかで分かることは質問しないという約束。

    他者を意識するためのキーワードが必要である。自分の同世代からどう見られているか。

    総合的な学習を実践してみて感じている教師のかかわり方

「そんなことをして何になるの」「なんか役に立つの」「先生を説得すればいい」「ごみの量を調べるのはプロがやっているぞ」「おまえしかできないことをやれ」「市民に呼びかける看板を作って喜んでいていいか。その後、どう変わったのかがポイント」

    真夏の衝撃・・・初めから答えが分かっていることの追究。教師の評価に振り回せている子ども。先生が喜ぶことばかりやらせない。

    「くだらんことをやってしまった」という経験が大切。

    教師の関わり方は、子どもが何をしたいのかを明確にするための関わり合いになるのでは。その前にどのような子どもを育てたいのかがはっきりしていないと関われないはず。現在は、総合的な学習ではこういうことをやろうばかりで、大きな目標が明確でない。

    二つの軸が見えてきた。「教師が意識する目的」と「子どもの自己実現、目標の明確化」。この二つの軸を意識することで具体的な関わり方が見えてくるのではないか。

    動機付けに教師の目的は関係ないはず。何がおもしろいか、何がしたいかを明確にしてやること。具体的な次の行動を指示すること。

    結局、子どもは何をやってもいいのではないか。その子がその子なりに生きる。それをやってその子が成長できればよい。教師側が意識すべきことは・・・・。

 

<以上>

 

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