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ストップモーション方式による授業記録の書き方

藤岡 信勝:東京大学教育学部教授


記録者紹介
東京大学教育学部教授。1943年北海道生まれ。北海道大学教育学部大学院博士課程修了。名寄女子短期大学、北海道教育大学釧路分校を経て現職。教科研(教育科学研究所)常任委員。教科研授業づくり部会代表。授業づくりの情報誌『授業づくりのネットワーク』(学事出版刊)編集代表。1988年「ストップモーション方式」を提唱。
著書
『授業づくりの発想』(1989年、日本書籍)
『教材づくりの発想』(1991年、日本書籍)
『社会認識教育論』(1991年、日本書籍)
『ストップモーション方式による授業研究の方法』(1991年、学事出版)
編著
『個を育てる築地学級の秘密』(1990年、学事出版)
共著
『社会科で「地域」を教える』(1988年、明治図書)など。
1. 玉置実践にめぐりあうまで
 福武書店ニューメディア事業部の小西克哉氏から電話をいただいたのは昨年の晩秋、枯葉舞う頃であったと記憶する。用件は次のとおりであった。
 同社が開発した教育用基本ソフトfind outの自作エリアを用いて新機軸の授業を試みる熱心な先生方が次第に増えてきた。その中には教材エリアを開発した先生個人の財産にしておくのはあまりにもおしい卓抜なアイディアも数多い。全国の教室で新しい自作エリアが交流され、コンピュータを導入した授業づくりのヒントになるような条件をつくりたい。そのため、50点とか100点とかいうオーダーで自作エリアのメニューをつくり普及する企画を検討中である。
 ところが、ここに一つのネックがある。上記の普及活動を進める上で「その新開発エリアを用いるとたとえばどんな授業が実現できるのか」ということをうまく文字で伝える方法がない。さんはてなろく従来の指導案だけでは、授業のおもしろさ、カンどころが今一つ伝わらない。伝わらないから「私も一丁このアイデアで授業をつくってみようか」と食指を動かす動機を与えるインパクトに乏しい。それどころか、結局のところそのソフトがどういう風に授業で用いられたのかさえよく分からないというケースも多い。
 そこで、指導案または授業記録の書き方で何かよい方法はないか書店の教育書の棚をあさってみた。その結果、「ストップモーション方式」の記録法が一番、上記の問題解決に近い位置にあるという結論にたどりついた。自作ソフト開発に実績のあるfind outファンの先生方の集まりで、その記録法の発案者として、授業記録の書き方の講習をしてもらいたい。〜以上が小西氏からの依頼の要点である。この依頼について私はほぼ次のようなことを考えた。
 find outを使いこなす先生方が一つの層をなすまでにふえてきたことは誠によろこばしい。1年ほどアメリカに滞在し、かの地の教育事情を垣間みる機会があった私としては、幼稚園のクラスからごく自然にコンピュータが導入されて日常的に子どもがさわっているアメリカの状況に比較し日本の実情が二歩も三歩も立ちおくれていると痛感していただけに、私で役に立つことがあれば小西氏の依頼に協力するにやぶさかではない。
 しかし、何といっても私はコンピュータと教育のかかわりに関してズブの素人である。それに「コンピュータ・find outを使った授業」というところが今一つイメージがわかなかった。私の理解では、find outは第一義的には、いわゆる授業で使用されることをあてにして作られたタイプのソフトではない。それは何よりも思考の道具であり探求のツールであって、個別の問題意識にもとづくパーソナルな使用を原点としている。その使用が一斉授業の文脈の中にどの程度うまく統合できるものか私には安定したイメージを思い描くことができなかった。
 授業の内実のイメージがもてないのに、それを伝える形式である「書き方」の一般論について講釈するなどということは、根っからの経験主義者である私の主義に反することであり、してはいけないことであった。そういうわけで私は小西氏に、コンピュータ・find outの使用を有機的に組み込んだ授業の典型例を見せてほしいと要請した。そういう授業に接した上で、それを書き言葉で他者に伝える方法のポイントを考えてみたい。〜これが私から小西氏へのいわば逆提案であった。
ぼくカメ
 こういう経過で実現したのが、玉置崇氏の「当たるのはどこ?」の研究授業である。玉置氏は年度末の多忙な時期にもかかわらず、この研究授業のためfind outをベースにした全く新しい自作エリア・ソフトの開発に挑戦して下さった。授業は2月24日に玉置氏の勤務校である愛知教育大学附属名古屋中学校1年D組のクラスで行われた。私はビデオ撮影を担当してくれた3年目の学生・石井宏司君とともにこの研究授業に参加した。
 結果はどうであったか。玉置氏の授業との出会いは私にとって一つの事件であった。近年これほど楽しく、しかも知的刺激に満ちた授業を参観した記憶がない。正直に告白しよう。私は(今から考えると大変失礼なことだが)find outを使ってこれほど見事な一斉授業が実現できるものだとは想像もできなかったのである。
 何よりも驚きは、コンピュータを使わねばならないからコンピュータを使ったという、とってつけたような不自然さ、ぎこちなさが、この授業には一カケラも見当たらないことである。実に自然にコンピュータの操作が授業の流れと統合されている。しかも、授業の中でコンピュータは何か他のものの代用物なのではなく、まさに道具としてのコンピュータでなければ絶対に果たすことのできない役割と存在感をもって授業の中に位置づいている。コンピュータは学習者の中に問題意識が生じるたびにごとに、何度でも忠実に指令どおりの役目を実行しデータを与えてくれる。コンピュータは探究をそそのかす見事な役割を果たしているのである。数字集団
 さらに、極めて重要なことは、以上のような授業が、非常に単純なしかけをもっているにすぎないエリア・ソフトによって実現しているということだ。玉置氏はマニアックなソフトはむしろ授業にとって有害だと言い、ソフトに趣味的に凝るほど授業はダメになるとおっしゃった。「ソフトのプログラムづくりにかける時間は2時間以内」を目安にされているとも言う。一つの哲学である。この授業によって、子どもの探究をうながすのに必要なものは複雑・華麗なソフトではないことを私は実感することができた。
 玉置氏のお話によれば、授業の準備の時間の大部分は授業の骨格に関するアイディアの練り上げに費やされたという。小学校教師の経験があり、授業づくりを第一義的に考える中でコンピュータの利用に手をひろげてきた玉置氏の実践・研究歴がこの授業を支えていることを知ることができる。また、同世代の意欲あふれる数学科同僚の方々の側面援助という職場の良好なチームワークも見のがせない。
 というわけで、私はこの授業の記録者の役目をみずからかって出たのである。以上、長い長い前おきとなったが、以頁以降にのべる「原則」や「留意点」を理解していただくのに役立つのではないかと考え、あえて玉置実践との出会いに至る経験をのべさせていただいた次第である。

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