■たくみの会 ■ 日時:2003年10月3日(金)19:00〜22:00 ======================================== <ビデオ視聴前に玉置先生より> ・今回、1年3組で道徳の授業を実施。 ・今日は大変多くの先生が集まっておられ、自分としては期待と不安が半々であるが、ぜひとも、今回の授業を通じて、道徳教育のスタイルの一考になればと考えている。 ・また、今回、検討の最後に今日来られた先生が、本当にこのスタイルの道徳の授業が実現できるかどうか、自分でもやってみようと思うかどうか、についてぜひとも聞かせて欲しい。 ○ 資料朗読(詳細は添付資料を確認) ○ 資料朗読後、発問 ○ 茂の立場で考えられる行動について、生徒たちは書き出す ○ それぞれが考えたことを発表。 *教室の廊下側の生徒から一人ずつ意見発表。 *半分程度の生徒が意見を発表したところで。 生:正夫と雄一郎を入れ替えて練習してみて、どっちがいいか決める。 *ここまでで、他に意見がないかを確認してから、玉置先生が、黒板の意見をナンバリングしていく。 玉:それでは、ここにある意見の中で「自分ならこの行動はしないな」という意見をプリントに書いてください。複数選んでも構いません。もし、「この行動はしないな」という意見がなければ、書かなくてもよいです。 玉:それでは、これから番号を言っていくので、みんなで手を上げてください。 玉:黒板を見ると、どの意見も、必ず誰かが「やらないのになあ」と思っています。いろいろな考え方があるということは、誰かが自分とは違う考え方を持っているということでもあります。人にはいろいろな考え方があるということが、ここからもわかるね。じゃあ、どうして「自分ならしないのか」を聞いてみたいと思います。 <5番−「正夫と雄一郎でテストをする」について> 玉:じゃあ、やるっていう人はどうして? 玉:〜君、こんな意見についてどう思う? 玉:この「テストをする」という意見でも、いろいろな考え方があるのがわかるね。じゃあ次に「先生に相談する」という意見について考えてみよう。 <1番−「先生に相談する」について> <9番−「正夫と二人で相談してみる」について> <最後に> ======================================== ======================================== ・「人として嫌だな」という発言が授業でどう生きているのかがあまり見えなかった。「嫌だな」と感じる気持ちの部分を、どう授業を通してクローズアップしたかったのか?この発言が最初にあったことで、「個人の意志決定」と、「嫌だな」という気持ちの部分が混在してしまい、目的がわかりにくくなったのではないか?玉置先生としては、どういう想いがあったのか、あらためて教えて欲しい。 玉:最初のこの部分については、言わなきゃいけないと思ってはずせなかった。道徳の授業をする上で、「自分が大切にしている生き方」を伝えたいという気持ちが強かった。「嫌だなあ」という言葉と、「とりえる行動の検討」については、自分の中では合致しているつもり。授業の筋では合致しているはず。 ・意志決定というテーマが、「道徳としての意思決定とはどういうものか」を考えるのか、「意思決定するためにどう考えるのか」なのか?どちらとも取れる状況で、どちらに主眼を置いているのかな?とひっかかりを感じた。 ・実際、生徒たちから、「気持ち」が入り込んだ意見は出ていたのか? 玉:机間指導で見ていると、結構、気持ちの入った意見はあった気がする。今、手元にある生徒のメモを見てみると淡々と行動だけ書いてあるものも見られるが…。 ・「考えられるかぎり書いて」と投げかけて書かせておきながら、「一つだけ発表して」というここでの投げかけが気にかかった。自分の一番の思いを伝えてほしいのか?生徒は,どんな感覚で発言していたのか?聞いていると、どうも「自分の一番言いたい意見」を言っていたような気がするが…。 ・「一つだけ発表して」という働きかけで発表させるより、生徒たちもたくさん書いたわけだから、「書いたことを言って?」と投げかけたほうがすんなり意見をいうような気がした。 ・この段階で、どうして「気持ち」をいわせなかったのか? 玉:同じ行動でも気持ちが違うことはある。この段階では、気持ちの議論をしたくなかったので。Aという行動をしたのに、こう思われるのか?という他者の視線をぜひ確認したかった。 ・気持ちというのは、見えないもの。だからこそ、行動を通して、他者からはどう思われるのか?自分の行動が他者の気持ちにどう影響するのかを意識させる上で、この発問は素晴らしい発問だと思った。 ・「気持ちは抜いて」と問いかけたとき、本当に生徒は行動と気持ちを分けられるのか?が気になったが、発表を聞いていると、上手に分けていたのに驚いた。みんなよくすらすら先生の意図どおりに意見を言ったなあと思った。 玉:たとえば、この段階で、「正夫をはずす」ではなく、「正夫が下手だからはずす」という意見になると、「下手だから」という表現を無視することはできない。そうすると、「下手だから」というところで時間が取られてしまう。それよりは、「正夫をはずす」という行為のみを発表させ、いろいろな行為がある、という事実を確認させたかった。 玉:今回の一番のこだわりだった。宇佐美寛氏は行動をある程度あげて「どれがいい」という発想だったが、「どれが嫌か?」という発問のほうが生徒の素直な内面が出てくるのではないか?と考えた。また、比較的意見をぶつけ合うこともできるのではないかと考えた。「いいなと思う意見を3つ選んでごらん?」というよりは、嫌だなと思う意見を聞いたほうが、生徒の素直な気持ちが出てくる。 ・「何で嫌なの?」という聞き方だと、その意見を肯定している子どもにも、自然に「どうして肯定しているの?」と発問することにもなる。きっと、否定的な意見を聞く一方で、肯定している子どもたちは「どうして肯定しているのか?」を考えていた。そういう意味でもこの発問は素晴らしいと思った。 ・ここで、感情をあえてはずしていた意味があると思う。感情を伴わないで、あくまで「考えられる行動」という一般的な意味合いで意見が出されているから、子どもたちも比較的「やらない」という意思表示ができやすかったように思う。 ・確かに行動だけだから、「やらない」と言いやすい。しかし、授業の冒頭で玉置先生が話していた「嫌だ」ということと、子どもたちがここで意思表示している「やらないこと」はイコールではない気もする。ここであらためて、冒頭での「嫌だなあ」という問いかけがどう絡んでくるのかが見えづらい気がする。 ・「したくないものを考えよう」という発問はよかった。ただし、生徒としては、選ばない選択肢をすなわち「する」と感じていないことも考えられる。積極的に「する」というわけではなく、まあ、「別にしなくはないなあ」ぐらいの認識で、選択しなかった可能性もある。「しない行動」を選ばないというのは、「する」ということではなく、自分としても「やるかもしれない行動」程度の認識かもしれない。 ・この教材の価値は茂の意識のぶれというか、判断を下しにくい曖昧さにある。揺れ動いている意識がポイントであるはず。玉置先生の問いかけは、どちらかというと明確に立場を設定させるように仕向けていた気がする。 ・中学校2年生、3年生になってくると、部活動をやっていればこの話に似た状況は経験している可能性もある。そうすると、自分の体験からきっと判断することになると思うし、もう少しシニカルな意見や議論、反応になる可能性もあった。そういう意味では、この教材は中学校1年という時期だからこそ、取り上げられたような気もする。 ・異なる立場の生徒同士で議論させる場面があったが、途中で文脈から生徒が判断していた。読み方としては素晴らしいが、道徳としては、もう少し生徒の素の意見が出てきたほうがいいのになあ…と思いながら見ていた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 玉:確かに、結論的なことを言ってしまったかな…。全ての意見に対して、きちんと否定的な考えを持つことが実証されたので、言葉が滑ってしまったかも。 ・「しないものを挙手しよう」という発問は、肯定する立場の人間への問いかけにもなるので、素晴らしいと思ったが、生徒の立場的には少し重いようにも感じる。淡々と意見を確認するという点では、一つひとつ○×させてもよかったのではないか。 ・意見に対し、気持ちや感情が入ってしまうと、どうしても反対の立場はとりにくいかもしれない。そこを意識した上で「気持ちはひとまず置いといて」と強調している点は進行をスムーズにする役割のある意図的な投げかけであったし、よく考えられているなと感じた。 ・手を上げさせるということはどういう意図だったのか?生徒の評価観点は数値に頼っていたのか? 玉:生徒たちに出させた意見の中で、どれを取り上げて議論させるか?という葛藤が実はここではあった。意味内容的にとりあげるものを判断するのも難しかったので、今回は生徒の挙手数(数値)で判断した。 ・今回、事前にメモをさせていたが、時間的に逼迫していた点を考えても、挙手させる前にメモをとらせるのは不要だったのではないか? 玉:メモを書くことによって、生徒に意志をはっきりさせることができた。その点からも、メモについては、必要であったと考えている。 ・今回、挙手をさせるときに、もし否定的な意見が0のものがでてきてしまった場合、どうするのだろうか?ひょっとすると結論に矛盾が…と感じてしまった。 ・挙手する、しないでディベートをさせているが、この前段では「いろいろな意見」についても言及しているので、ここで急に二つの立場を取ってディベートさせているという点では、不思議な感じがした。「こんな行動をする」といういわば肯定的な(やるだろうという)観点で考えさせたのに、ここで否定的な意見で議論する点で、少し混乱する生徒もいたのではないか? ・生徒の意見に対して、「さっと確認する程度、次へ次へと軽く進めるのか?」「意見をひとつひとつ取り上げ、きちんと踏みとどまるのか?」玉置先生自身がどう考えているのかが見えなかった。もう少し、玉置先生の立場をどちらかはっきりさせたほうがよかったのではないか? 玉:生徒の意見に対しても、もう少し生徒個々の特徴がわかっていれば、生徒の意見に突っ込みを入れることもできたが、生徒のことを知らないので、なかなか生徒の意見に対して突っ込めなかった。この辺りから、ここまで来たけど、どうすればいいのか?と不安になった。 ・もっと生徒の意見をいわせればよかったのではないか?掘り下げるのではなく、様々な言わせたほうがよかったのではないか? ・ここだけ、玉置先生は生徒たちの発言に対し、「なるほど」という言葉がなかった。これまでは、ほとんど生徒たちの発言に対し、「なるほど」と言っていた。ここでは、自然に生徒に意見をいわせようとする意識が強くなったのでは?生徒を少し追い詰めていたような気も…。生徒たちの発言に対し「何で?」と問いかけると、生徒たちが追い込まれてしまう様子が見受けられた。玉置先生の「言わせたい!」という意図が強くでてしまったのでは? ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ・ここで「先生はいろいろ大変だから」と言った生徒への玉置先生の対応は素晴らしかった。ここで、授業の雰囲気が軽くなったと思う。 玉:ただし、このあたりでは、自分も、授業の落としどころをどこに持っていこうかと少し混乱していた。生徒の意見をきちんと聞かなきゃいけないと想いながら、次の進め方が見えてなかったから、少し不安だった。 ・道徳の授業では、主人公の気持ちがわかっていない生徒に対してゆさぶるのが一般的だと思うが、この授業では全然違うアプローチで生徒の考えを揺さぶっていたと思う。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 玉:これまでのいろんな意見を聞いた中で、あらためて自分が茂の立場でどんな意見を選ぶのかを、手紙という形で書かせたかった。 ・授業として複数の目的が混在してしまった面があるのでは?「意思決定をする」「いろいろな意見がある」「嫌だと思う」という複数の目的やねらいがあったために、少し授業の芯が曖昧になってしまったのでは? ・もし、「いろいろな意見がある」という形でまとめさせるのであれば、茂への手紙よりはもう少しシンプルに「自分ではどう思うか?」という問いかけで書かせればよかったのではないか? ======================================== ・生徒たちの意見で「二人をテストする」という意見への拒絶の姿勢が気になった。競争といった点での子どもたちのひ弱さが少し気にかかった。 ・展開から終末まで玉置先生の技術でカバーされていたように思う。自分ならどう進めるか?と考えるとずいぶんと難しいし、大変だと思ったのが率直な感想。どう取り上げるかについては、きちんと考えてみたいと思った。 ・今回使われた資料でも、資料を読み込むだけで10分近くかかっている。この資料の読み込みの時間は長い。シチュエーションを理解するために、資料はもちろん必要だが、資料の扱い方については今後の課題にしたい。 ・自分の考えをメモさせる手法については、いろいろな意見が出たが、個人的には必要な手法だったと思う。 ・何度か玉置先生の授業を見ているが、いつもの数学の授業と違ったのは、「まとめ」が伝わりにくい点だと思った。数学の授業では、最初と最後に授業のねらいやまとめの言葉があったが、この道徳の授業ではそれが弱かったように思う。やはり、生徒の発言が読めなかったのではないか? ・数学などと違い、道徳では生徒の意見の出方がよめないので、難しいと感じた。 ・この題材だと、1年というタイミングがよかったと思う。2、3年だと部活の経験があるから、もう少し現実に即した意見が出てきてしまったのではないか? ・いろいろな意見を比較検討する中で、「こんな意見を考えた」と発言を引き出す場面がもう少しあってもよかったかもしれない。 ・指示をするとき、「わかる?いい?ねえ?」という玉置先生の問いかけが、素晴らしかった。これでずいぶん、生徒とコミュニケーションが図ることができたように思う。 ・意見をナンバリングすることで、〜さんの意見というより、一般化された意見となったので、「〜したくない」という否定的な見解での意見を引き出しやすくなった。さすがだ、と思った。 ・朗読の際に、きちんと場面ごとにあらすじやポイントを確認しながら話していたのは素晴らしかった。生徒も物語の世界観にすんなりと入り込めたように思う。 ・この授業で一番すごいと思ったのは、玉置先生自身が、授業で何度か迷いを見せる場面があり、かつ授業の目的がシャープになりきれなかったにも関わらず、あれだけ生徒の意見を引き出せた点である。生徒の意見がこれだけ出ているのは本当にすごいと思う。このすごさをぜひとも若い先生にはわかって欲しい。 ・今回の授業で、復唱法はもっと早くできたはずではないか。先生自身が、感情ではなく行動だけを発言するように、といっているのだから、もっと早いテンポで進めてもよかったのではないか。思いや感情を発言させるわけではないはずだから、もう少しスピーディーに進めてもよかったのでは? ・意思決定というのは、一般的には「スキル」の面がある。だから意思決定を目的にすえるのであれば、「嫌だ」という感覚よりも、達成すべき目的や状況などといった外的な要因など、さまざまな要素を総合的に判断する、という要素が求められると思う。そういう意味では、今回の授業では意思決定をどう捉えていたか?が少し不鮮明だったように思う。 ・道徳では「気持ち」に委ねすぎているようにあらためて感じた。やはり「正義」「倫理」は人の数だけあると思う。そういう意味では、まずは判断した「よりどころ」を明確にすることが前提条件になるのではないか?と思った。 【玉置先生】 ・今回、玉置先生の授業だから、これだけ議論が生まれた面はあるが、玉置先生がこのように自らの能力を磨いていることを、若い先生にはぜひ意識してほしい。できれば、たくみの会でも若い先生の授業を取り上げたいと思う。まだまだ若い先生には伸びしろが大きい。こういう経験をすることで、得られることはたくさんあるはず。願わくば、次からは若い先生が積極的に次へのチャレンジをしてほしいと思います。 次回は11月6日。 |