議事録
■たくみの会

■日時
2002年7月17日(水)19:00〜

■場所
エドウェル会議室

■参加者
玉置、佐藤、松浦、鈴木、梶田、酒井、吉原、太田、柴山、大西、杉山、大谷、勝田(記)
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参照資料:小牧中学校の絶対評価に関する資料、他

<小牧中の資料について>
・小牧中学校では各教科の全単元で資料@のようなものを準備している。こんな授業をしていれば、こんな規準に近づけるという部分を共有するためのもの。
・以前、評価の基準は使用しないほうがいいのでは、という指導があったという話や、他にもある自治体では教科基準を作成していたが、文部科学省の方から規準を作成するようにとの指導が入ったという話を聞いた。
 →ただし文部科学省としても基準を完全に否定・削除しているわけではない。
・文部省からはなるべく数値化した判断はしたくないという意図が見えるが、実際はそうはいかないのではないかと思う。
・資料はAは、各教科ごとの授業のめあてを記載したもの。授業にはいる前に、その単元を通して「何をするのか?」「何を目指すのか?」を明確にすることを目的としたもの。
・資料Bでは実際に評価する問題を記載している。評価問題がひとつひとつ資料Aでいうどこに該当するものなのかも明記している。
・こうした資料は保護者にも配布している。特にAの授業のめあては、通知表にして一緒に配布している。

<授業毎の評価の蓄積>
・その日に習ったことを、その日の内にテストをして評価をしても、できない子はいる。それで評価することに何の意味があるのか。復習をしてその授業内容を身につける子だっているはずだ。累積するという言葉にみんな引きずられているのではないか。
・一回一回の授業で小テストなどを実施して評価を累積する必要はないと考えている。そんなことは現実的に不可能だし、保護者にもそこは理解してもらえた。そもそも授業で「評価する」のは当然のことだし、これまでだってしてきた。それをいちいち一回一回の授業の評価内容を蓄積してもしょうがない。
・期末とか中間とかポイントを示して、そこでのテストなどの結果から評価を考えていけばいい。もちろん関心意欲態度などは日々の授業から考えられるものを加味していく。
・今回、みんなの出来が良かったので、中間、期末90点以上でも、評定としては4の子がいる。授業中の姿勢や取り組み方、発言などを聞いてそこは区分けしている。

<評価における「重点」>
・小牧中学校では評価問題全てを一律の重さで考えていない。大事な部分(重点)があるという認識で取り組んでいる。
・この重点観点は、試験問題にも当然反映される。大事なところなので当然評価問題も増えている。なので、当然、試験とこの重点がずれるようなことがあってはいけない。それをチェックする意味でもこうして公開している。
・観点別のABCだけで評定までつなげていくのは、納得できないという意見が出た。それぞれの単元には観点ごとの重みがあるはずだ。それぞれの単元の中の割合をベースに考えていきたいという意見が出た。
・観点の評価の総合が同じ場合でも、観点の重みによっては評定が異なることがある。大切なのはこのことを保護者にきちんと説明し、理解してもらうことである。

<保護者への説明責任について>
・小牧中ではデータは全部数値化して蓄積している。担任は全員の全教科の成績について保護者に対し、説明できないといけない。
・もし自分のクラスの子どもの成績を見てわからない場合は、その教科の先生に聞いて、説明できるようにする。訪ねられた教科の先生も担任が納得できるように説明する。もし説明できない場合は、きちんと見直すということを徹底させている。
 →保護者への情報公開は必須。

<評定5はどうつけるか?>
・文部科学省は最低基準を示しているだけなのだから、教科書レベルでは5をつけられないのではないかという意見も出てきた。実情としては、教科書レベルが完璧であれば5を出す場合も、そうでない場合もある。学校によってばらばらな面は否めない。
・簡単すぎて、本当の理解に繋がっていないような気もした。評価問題が簡単すぎたのではないかという意見もあった。
・そもそも今回の絶対評価においては、Bでも3でもいい成績ではないだろうかという話になる。
・授業で教えていない問題で子どもたちを評価するとして、先生はどうやって評価するつもりなのか?あるいは、その評価問題を通してどんな力を育てるのかということが明確になっているのか?
 →教えていない点ができることが評価なのか?そもそも、学校で教えているのか?教えて、評価すべきなのか?どういう観点で何を評価するのかを明確にして、指導と反映していれば教科書の範囲にとらわれずに問題を出せるはずだが、ここが先生の方できちんと考えられなければ、教科書の範囲を超えた問題を出しても意味はないはずだ。
・3段階の数値を5段階に換算しなおすのは根本的に無理がある。数値として出す前のデータをもとにして評定をつけるのであれば問題ないが、一度数値化したものを再度数値化することはどうか。

<評価と指導を一体化させること>
・評価することばかりに気を取られていると、「評価」と「指導」が一体にならない。保護者も子どもも一番納得するのは、授業と評価がきちんと連動している状態を作りあげること。そこがあって、はじめて説明の説得力は出てくる。
・あらかじめ教科書の内容にとらわれず、考え方を育むという観点を明確にしながら指導しているのであれば、教科書に出ていない問題でも評価をすることはできる。しかし、ここを何も意識せずに指導していて、指導で触れていない問題を出しても、評価することはできない。
・評価がどうこうではない。授業で子どもに力をつけるためにはどうしたらいいか、が評価の目的である。Cをつけることだって、教師の自己評価に反映すればいい。逃げたり誤魔化したりするようでは駄目だ!それができなければ、評価する意味がない。

<評価基準、評価問題の共有化について>
・テストについても、取り組みながらどこに基準のラインを引くのかについては都度見直す必要がある。だからこそ問題も含めて蓄積したい。蓄積され、蓄積されたものをベースにさらに検討を重ねていくことで精度があがっていく。
・小牧中では、先生方からこうした取り組みについて一切不満の声はでなかった。どの先生もよびかけに応じて、きちんと取り組んでくれた。全ての先生で取り組むからこそ、より多くのデータが集まり、効果があがっていく。

<自己評価について>
・絶対評価では、先生にとっても子どもにとっても「自分を評価する力」が必要だ。
・学校は意外とこの「自分を評価する部分」が苦手なのではないか。
・例えば、頑張ったことをむやみに評価する風潮があるが、頑張ったからいいのではなく、頑張っても失敗してしまったことは、失敗したこととして、教えることが大切なはずだ。
・頑張ったからいいのではなく、できたのか、できなかったをきちんと見てあげること、それを子どもに気づかせることの方が大切だ。
・そういう意味で、今回の絶対評価を上手に利用し、子どもに自己評価を意識させるチャンスになるはずだ。
・また、先生自身も子どもへの評価を通して、自分の授業や指導力を自己評価するチャンスにしていきたい。

<教師の主観について>
・一学期間、授業をしていれば、その子がAとかBとかというのはわかるものだ。実際に数値化したものと見比べても自分の感覚がずれることはない。
・最終的には教師の主観が入ってくる面は否めないと思う。その分、きちんとしたデータを見ることと、それを踏まえた上で、教師が責任を持って判断できるかどうかだ。

<絶対評価導入後のメリット>
・絶対評価を導入することで、教員にとっても、子ども一人一人の状況を理解する上で、これまで以上に精緻化して把握することができるメリットもある。
・自分でどんな問題を課さないといけないのかを意識しながら授業できる。これは教員としてはいざ評価をするときには問うべき問題が明確になるはずなので、きっと試験を作る場面では楽になるはずだ。
・最近、テスト問題そのものを業者ベースで作っている側面があった。今回の改定をきっかけに学校でテストデータベースを構築することができれば、先生主導できちんと問題作成することができるのではないか。

<小学校の現状と課題>
・小学校の算数では、知識、理解、思考、表現のどこで子どもが問題を抱えているかを、テストから探れない。どうやってテストを通して探っていくのかについてはまだ検討している段階。
・具体的に子どものどういった行動が何を示しているのか(どの行動が「進んでできるのか」なのか)を明確にしたいと考えている。算数だけでなく各教科でこうした行動のパターンをいくつか作っていきたい。
・それに基づいて、できたかできていないかを2段階でチェックする。それを基礎データとして評価していきたい。今、規準の具体的な姿を各教科で出しているところ。
・小学校では5、6年生であれば、観点別で子どもの理解度をはかることはできる。しかし、1〜3年の低学年の児童については、できたできない理由が明確にしにくい。体調がわるかったからかもしれないし、ほかの子と理解の速度が違うだけかもしれない。そういう点を考慮するとなかなか、観点にそって評価できない面がある。
・瞬間瞬間で評価することが大切ではないと考えている。今教えたことが時間が経って、できることもある。だから、ある程度スパンを置いて評価するように考えている。
・現実に1学期の6月に取り組んでもらったが、テストの点でつけてしまう面があった。総括的な意味合いのテストで評定をつけてしまう。総括的なテストをしても、自分の専科ではないとどうしてもテストの点数で判断してしまう。どこが出来て、何がまだできていないのかという細かい視点で見るのは難しい面も…。
・今年はどうやって説明するのか?
 →子ども一人一人の成績について、先生とやりとりをするしかない。

<小学校のこれまでの評価について>
・小学校では、自分が担任してクラスをずっと見ている。だから、授業を通して一人一人の子どもを理解することはできる。
・一人の先生によって見るということは、その先生の視点によって評価が全て決まってしまう。だからこそ、何を学ぶのかと、どこで評価するのか(授業なのか、テストなのか)を何らかの形で事前に明確にする必要がある。説明責任を考えたとき、そうしないと、保護者からは、結局、一人の人間で見ているのではないかという疑問に対し、答えることはできない。
・そういう意味では、小学校で、もし事前に評価基準や授業のねらいを学校で共有し、子どもや保護者に公開していたのであれば大丈夫だろうが、そこまでやっていないのであればやはり、この機会にもう一度評価について検討した方がいい。

<評価の数値化について>
・評価を数値化しているが、本当に数値化だけでいいのか?それしかないのか?
・これまでの相対的評価との手順と似ているのが数値化だろう。だから、先生たちもこれまでのノウハウを活かして、進めやすいはずだ。
・観点別の数値は一つの目安であり、テストの内容ごとに変えたって構わないはずだ。
・たとえば「〜が(ある課題)できれば2だよ」「〜ができれば3だよ」とする方がすっきりくる。
・しかし、その場合、課題1問で評価するのか?あるいは10問で評価するのかを明確にしないといけない。どちらにしても保護者への理解を求める上で、きちんと基準を示す必要がある。

<英語における評価の問題>
・英語の場合、「言語文化に対する知識理解」という部分が「表現」、「理解」とオーバーラッピングしている。テストをするといっても問題として分けることも難しい。
→現状、どちらでもとれる問題を、割り切って出すしかない状況。
・そもそもわけなきゃいけないという発想が苦しい。

<評定以外の評価方法について>
・小牧中では、評定で1をつけた生徒に対しても、イイトコ見つけでその子の頑張ったところをフォローできる。数字だけでない評価もしている。

<一学期を終えて>
・実際に1学期を振り返ってみると、去年に比べて子どもたちの学力(特に中位層以下が)上がっていた。
・特に、今年入学した一年の子全体の数値が去年の一年生に比べて上がっている。授業前にねらいや目的を明確にしたことで、子どもたちも何をどうやって努力すればいいかが明確になったのかもしれない。
・ただし、「考える、表現する」力の部分はまだまだ。また、2年生については昨年度の成績と比べてで大きな違いは見られなかった。
→別に今年の一年生は去年の一年生より、点の取りやすい問題を作っているわけではない。
・今年入学した一年生の場合、素直にこちらから提示する授業前の観点を受け入れてくれるので、学力については素直に向上していると思う。

<やってみて見えた課題への取り組み>
・先生の意識が「Bが多ければよし」、「3が多ければよし」という安易な発想に向いていくのを今、懸念している。
・今後の取り組み方としては、いい授業をして、どんどん保護者に見せていくしかない。基礎データを見せることと同時に、親にいい授業を見せて、どんな指導をしてどんな評価をしているのかを理解してもらう。
・今回の評価を振り返ってみて、不安に感じる点があるのであれば、テストの結果に対して分散分布をとってみてはどうか?あるいは問題ごとの相関関係をとってみてはどうか?
・教科書、授業の特性を検討した上で、比率については検討してみては?それをせずして教師の感覚だけで一学期の絶対評価を総括するのはどうか。
・各市町村、各学校で共通の検討を実施していないのはなぜだろう?一学期の間に統一してくれないと困る。
・一学期が終わって、このままでいいじゃないか!という話が出てしまうのが一番怖い。またそうさせないようにしたい。

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