小牧中学校総合的な学習の時間「創」の実践
−試行錯誤の連続から見えてきたもの―

小牧市立小牧中学校 玉置 崇

1 真夏の衝撃

 我が校の総合的な学習の時間を語るのに、平成11年8月に実施した総合的な学習のシミュレーションを外すわけにはいかない。そのシミュレーションで、総合的な学習の研究部会が経験した大失敗は、「真夏の衝撃」として、今も語り草になっている。
 総合的な学習の研究部会は平成11年に設置した。翌年から試行を始めることを目標にカリキュラム等の検討に入った。その中で、机上で考えていても総合的な学習それ自体がなかなか見えてこないため、研究部会が考える総合的な学習の時間をシミュレーションすることになった。
 中学1年生全員に次の@〜Cの条件のもとで課題追究をするとしたら、どのようなことに取り組んでみたいか、その課題を書かせることから始めた。
@ 夏休み中の4日間で行う。時間は毎日6時間。ただし、その6時間の使い方に一切制限を加えない。(時間の自由)
A 学校中のどのような施設(図書室、コンピュータ室、理科室等)でも、どのような機器(コンピュータ、インターネット、ビデオ等)でも、自由に活用できる。(施設・機器の自由)
B 教師はもちろん、だれに聞いてもよい。どこに行ってもよい。遠い場合は、教師が車でそこまで送ってもよい。(人・場所の自由)
C 調べ方からまとめ方まで自由である。(表現の自由)
 こうした条件を受けて子どもたちが書いた課題は、「生きるとは何か」「なぜCDから音がでるか」「学校はアルボース液をどうして使うのか」「ダイオキシン問題」など、子どもなりに真摯に受け止めた課題が出された。
委員で、その中から、ぜひ取り組ませてみたいという課題を選び出した。その課題を書いた子どもたちに、実際に取り組んでみるかとたずねたところ、全員がやってみたいと意思を表明したため、4日間にわたる総合的な学習のシミュレーションが実現することとなった。
この段階までは実に楽しく知的な4日間を送ることができると思っていた。ところが初日から、それはとんでもない思い違いであることを知らされた。これが「真夏の衝撃」というフレーズに象徴されている。
 夏休みに出てきて課題追究をしようという子どもである。まじめに何事もきちんと取り組もうとする子どもばかりである。こういう子どもたちが見せる姿が、まったく課題追究と言えるものではなかった。平成14年度からの総合的な学習の時間にまさに暗雲をもたらすものであった。
 確かに子どもたちは、積極的に書籍やインターネットを使って、自分の課題に関連するような情報を探し出そうとした。しかし、それは単に自分の課題に合う情報が探し出せればよい、その情報が自分の課題解決になろうとなかろうと「はい、ここに書いてありましたよ。」といった程度のことを探し出す姿だった。資料の中に読み方すら分からない漢字が並んでいてもおかまいなし。該当個所をきれいに写し、「はい、これで追究は終わりました。」といった姿があちこちで見られた。その証拠に初日に、「資料があったから、もうやることがなくなっちゃった。」という子どもがいた。
 考えてみれば、これまでの授業での追究、いわゆる「調べ学習」というと、この程度のことをさせてきたのではないだろうか。つまり「答え探し学習」「答え写し学習」をさせ、教師も「はい、よくできました。」という程度の学習を積み重ねてきたのではないだろうか。
さらに悲しいことに、子どもたちは、教師が自分たちの姿は望ましくないと感じていると思っていなかったことだ。休み中にもかかわらず出校して取り組む自分たちは「ねえ、すごいでしょ。先生、ほめてよ。」といった様子だった。
文部(科学)省が示した「総合的な学習の時間のねらい」の最初の文言が「自ら課題を見つけ」である。この最初の文言さえも具現化が難しいと突きつけられた4日間だった。研究部会の衝撃は、計り知れないものだった。このようなことが、平成14年度から週に2時間も始まる。よっぽど腰をすえて考えなければ、とんでもないことになるぞ、というのが率直な気持ちだった。

2 総合的な学習を支える基礎体力

 「真夏の衝撃」で総合的な学習の時間の運用にあたって様々なことを学んだ。その一つが、総合的な学習を支える基礎体力が必要であるという考えである。
 平成12年度は、中学1年生で総合的な学習を実施することにし、1年間で課題追究の方法を一通り学ぶカリキュラムとした。
教師から聞き込み調査をしながら課題を決定する「課題決定までのステップ学習」、取材のアポイントメントをとるための「電話のかけ方学習」、活用できる写真をとるための「写真の撮り方学習」、取材したことを効果的に発信する方法を学ぶ「新聞の作り方学習」「プレゼンテーションの方法」など、総合を学ぶための基礎体力づくりと称した学習をいくつか開発して実践した。この1年で学んだことをもとに、2・3年生で真の課題追究活動を展開してほしいと考えたからである。
実際に取り組んでみると、こういった力は教科学習において身に付けさせるべきものであることが多々あるとわかった。同時にシミュレーションで受けた衝撃を緩和する学習に違いないと自信を深めたことは間違いない。
また、各クラスにその道のプロを招き、教師が一緒に授業を行った「電話のかけ方」「写真の撮り方」「プレゼンテーションの方法」の学習では、期せずして学校支援ボランティアとの共同授業の魅力を知ることとなった。
たとえば、「電話1本で何百万円という商談がまとまることもあるのですよ。」といったホテルマンの言葉や、「プレゼンは相手に伝えようとする心が一番大切なのです。」といった総合商社マンの言葉など、学校支援ボランティアは、教師には発しきれない痛烈なリアリティを持っていることを知った。そのリアリティは子どもの心に浸透させる重要なポイントであることなど、様々な知見を得ることができた。
 平成12・13年度の2年間にわたる総合の基礎体力作り学習は、いくつかの改善が必要であるが、一応の成果を収めた。今後、我が校の総合的な学習の基礎として位置づくことは間違いない。

3 真の課題を見つけさせるために

 真夏の衝撃で思い知った一番のことは、真の課題意識がなければ本来の追究は始まらないということである。とはいえ、どのようにしたら、子どもたちが真の課題意識を持つのかは、2年間の実践を経ても、正直なところ「これだ!」といったものを得ることができていない。
 そこで、ここでは「課題」にかかわって、いくつか得られた知見や試みを紹介したい。
 第一によい課題かどうかの判定方法である。たとえば、「ごみ問題について」といった「〜について」といった段階の課題では、子どもは100%といっていいほど真の課題追究はできない。表現的にその課題に関連した資料を並べる程度で終わってしまう。子どもとの対話を進める中で、「校区民のごみを減らすための方法」あるいは「僕が考えたごみを減らすアイデアを実際にやってみて効果を見る」といったように、具体的に表現された課題となるまで、対話することが大切である。
 第二に仮課題で追究をスタートさせる方法も有効である。子どもから課題を出させて対話すると、言葉ではうまく表現できていないが、やってみたいことを確かにもっている子どもがいる。こうした子どもには、とりあえず追究をスタートさせるのである。  
ある企業の方に、総合的な学習における「課題見つけ」の難しさを話したところ、それは企業においては当たり前の出来事であると一笑された。「先生、課題が一発で決まれば苦労はしませんよ。わが社にとって取り組むべき課題が分からないから大変なのです。社内でもいろいろと試行錯誤を繰り返しますよ。学校って、何もかも一直線に進まないといけないと考えていませんか。」と助言を受けた。
確かにカリキュラムには硬直したところがあり、この企業の方が言われるような柔軟性には欠けている。集団が限られた時間で成果を上げるためには、ある程度の縛りは必要であるが、学び方を学ぶ総合的な学習の時間の特性を考えた時、とりあえずやってみて、そこから真の課題を決めていくという過程があっていいという考えに達した。
したがって、平成13年度の2年生は、仮課題でスタートをしているグループが多い。実際に取材活動を通して課題変更や課題を絞ってくるグループが多い。子どもたちも強かで、取材先で「僕たちの課題はいい課題ですか。」とストレートに聞いてくるグループもある。「こういうことはすでに結論が出ている。こうした課題の方がおもしろい。」と助言を受けて帰ってくるグループもある。
また予備調査と称してアンケートをするグループも出てきた。質問項目などを見ると、アンケートの取り方に問題があると感じる場合もあるが、調査をしてみて、このまま進めてもあまりおもしろい活動ができないと見えてくる課題もある。
 こうした試みを通して、現在では、たとえ課題が二転三転してもそれはそれでよい、とまで生徒に伝えるに至っている。つまり、どのような経過で課題が変更となったのかを明確にして他人が共有できる情報として発表することができれば、非常に価値がある追究ができたという認識である。おそらくこうしたことまで明言している学校は皆無である。こうした考え方が、課題発見の指導として有効であるかどうかを子どもたちの活動分析から明確にすることが本校の課題であると考えている。

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