課題づくりの指導の一方策

H13.9.28

平成13年9月27日に2年生の「創」を見ていただいた大西貞憲さんからの助言をまとめたものです。

大西さんに、その日の2時間目にあった総合学習の部会での永田先生の考えを受けて、次のように伝えました。

「2年生の先生方は、多くの生徒が課題づくりに行き詰まりを感じています。それをどう指導していったらいいのか、先生方自身も悩んでいるようです。もっともだと思います。一番難しいことに挑戦しているわけですから。今度、学年部会で「課題づくりの指導のあり方」といったことを話題にされると聞きました。高水準の悩みで、こういう悩みをもてることはすごいと思いますが、見通しがもてるかどうか不安だと思います」

それを聞いた大西さんは、
「へえ、これまでの2年生の先生方とちょっと違っていますねえ。やってみなきゃ分からないという精神は・・・」といったことを言われたと思います。

私の言葉を受けて、教室を回られた後、次のような助言をいただきました。実に軽快で叩き込むような口調の助言でした。こう書けば、長年つきあってみえた先生方ですから、大西さんの表情もよく分かっていただけると思います。

「先生方が、自分たちだけの力で、あまりにも課題をよりシャープにしよう、しようと思われすぎているんじゃないかな。2年生の先生方の悩みはそこにあると思います。とにかく、ダメだということを承知で、子どもを動かしたらどうだろうか。僕がそういうことを言うと、課題が実にあいまいでぼんやりしているのに、これでは調べることも、取材に出かけて聞くこともできないのじゃないかと思われるかもしれないが、そうじゃない。課題自体がどうかと聞きに行かせればいいじゃないかということ。私たちはこんなことを調べようと思っているのですが、どう思われますか、やってみるだけのことはありますか、とその課題に関係ありそうなところへ聞きに行かせればいい。それを先生方が全部学校でやろうと思われているから苦しいのじゃないかなあ。聞きに行かせれば、向こうの方もそういうことをするなら、こういうことの方が問題だよとか、それはおもしろい、こんなことも考えてくれるといい、といった情報を与えてくれるのではないかな。つまり、自分の課題を決定する前に、世の中の課題を知る、そのための取材という発想があってもよいのでは。」といったことを言われました。

聞き手の私の頭に浮かんだことは、自分が中学生のときにやった夏休み自由研究で、なぜ田県神社に男性のシンボルをご神体として祭る豊年祭があるのか聞きに行ったときのことです。

神主さんから、「あんた、玉置さんというなら、ここの祭を調べるより、『玉置姓のいわれ』を調べた方がおもしろいよ。こういった祭はここだけじゃなくて、けっこうあちこちにあるから、調べてもおもしろくないよ」と言われたことを思い出しました。そこで急遽、課題を変えて、神主さんのところに二日通って玉置姓のいわれについて教えてもらいました。実は、作文も神主さんに半分書いてもらって楽をしました。大西さんの話を聞いて、課題づくりの指導に光が見えたように思いました。

先日、NHKが予備取材に来ました。多くの方に会って、いろいろな観点で話を聞いて帰られました。こうした地道な取材があって、番組で取り上げるテーマがはっきりしてくるのだと思います。こんなことをテーマにできたらなあという思いはあるでしょうが、初めからこれがテーマだと絞ることは難しいわけです。だから、こんなことはどうでしょうかといった具合でテーマを決めるための探り(質問)をするわけです。
NHKの方は、事前に電話で私に30分ほど取材、大西さんにもかなりの時間の電話取材。そして実際に小牧中に足を運んで4時間ほどの取材。翌日(体育大会の日)は、子どもの姿を見たり、これまで録画していた授業ビデオを何本か見たりして帰られました。それでもなお、まだまだ番組のテーマは絞れないようで、さらに予備取材をしたいとの意向も持ってみえます。

もちろん、子どもにこのようなことは望めませんし、自分たちの課題そのものについてどうかと聞かせると言っても難しいことだと思います。しかし、やってみなけりゃ分からないという精神で、子どもが教室外で活動する機会を作ったらどうかということが、この日の助言の核だったと思います。

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