骨 太 の 「骨」 は 何 か 

総合的な学習情報交換 新聞作り2単位を終えて

2000.9.28

正直に言うと、苦しい、苦しい新聞作りの2単位時間だった。もちろん、この活動は続くわけだが、自分が描いていた姿と実際の子どもの姿とのあまりにもある格差に「私はどうしたらいいの。スタッフ会議で、自分が文字にこだわりたいと言ったのにそれ以前の問題じゃないか」という、なんとも言えない気分が続いた。班の数が増えたこともあり、多目的室での活動を指定した3グループ。他の班に比べれば恵まれた環境での新聞作り。しかし、1単位目はまったく動かない。特に1単位目前半の自分のあせりは、下の様子が分からないだけにかかわられた先生方の中で一番ではなかったかと思う。先が見えない中でいくつかの手だてを打った。それが2単位目では少し功を奏してきたように思う。ここで自分の取り組みを整理する意味と、皆さんとの情報交換をしたいという思いからまとめてみることにした。

<1単位目>

       1年2組で山田先生から新聞作りの概要説明。割付をし、分担をして完成させることの確認がされる。

       担当している3つのグループを多目的に移動させ、さらに自分の思いを伝える。

       しかし、彼らは「小見出し」一つもはっきりつかんでいない。新聞をもとにレイアウトの説明や今日の目標を与える。

       スタッフ会議で加藤先生から「小見出し」というキーワードが出された。新聞は小見出しを眺めただけで70%近くは内容をつかむことができるはず。やはり自分もまず小見出しにこだわることにした。

       「各グループで取材をもとに新聞で伝えたいことを小見出しで表現しなさい、黒板にそれをそれぞれ書いてみて感想を言い合おう」と呼びかける。反応は芳しくない。

       各グループを回って「どんなことを伝えたいのか。インパクトがあることはないか。」と問いかけるが、やはり反応が鈍い。

       自分として一番かかわりやすいグループにしばらく集中することにした。「あなたたちは何をしてきたのか。取材で何が分かったか。新聞は誰に読んでもらいたいのか。」という問いかけに少しずつ反応が返ってきた。自分たちが取り組んだこと、分かったことは把握していることは確認できた。その中で、小牧の商店街を発展させるための小牧市の方策について、商店街の人々の賛成・反対は半々であること、そしてこれは取材をした自分たちしか知らない情報であることを子どもたちから引き出すことができた。

       上記のような引き出しをしたにもかかわらず、子どもたちの動きは鈍い。西村先生が教室に入ってみえたので他の様子を聞いてみると、あまり進んでいない様子。小見出し作りの授業をすることを決意し、3グループ全員を黒板の前に集めた。

       商店街を調べているグループの小見出しをみんなで考えようと呼びかけ、さきほど引き出しておいた内容について全員の前で発表させた。

       発表の中から「半々」という言葉はすごい言葉だとほめた。それは小見出し作りのキーワードとなると判断したからである。黒板の新聞枠の中に「半々」と書いた。そして、「半々だけじゃよく分からないね、どんな言葉を付け加えればいいのか」と問いかけた。

       しかし、それでもなお「半々」の前につく言葉が出てこない。「認識、意識」という堅い言葉が初めに出てきたため、よけいに後に続かない。もう一度問いかけをする中で、「賛成・反対」という言葉が出てきた。

       この時点でようやく光が見えてきたという気持ちになった。なんとなく子どもたちに「小見出し」について教えることができつつあるなあと実感したからである。「何に対して?」「小牧市の計画に対して」というような問いかけで、小見出しが生徒から出てくるようになってきた。さらに「このことは私たちだけが知っている」という言葉を発表させた。私たちだけが知っている情報があれば、なおさら新聞発行をする意義がある。
 私の頭の中では「賛成、反対に大きく分かれる」「小牧市総合開発計画」「商店街で調査」「他の方策が必要」「見直し必至」といった言葉が散らばった新聞が子どもたちの言葉から想像できるようになった。

       ここまで指導すれば各グループで「小見出し作り」ができると判断し、残り15分ほどでできるだけ小見出しを作り1単位目は終わることにした。

<2単位目>

       初めに今日の作業目標を話した。「小見出し」を決めてレイアウトまで完成させることを確認した。

       他のグループがかなり進んでいることを知っている生徒が多く、「他のグループを見るとあせるでしょ」という言葉に頷く生徒が多い。

       動きは3つのグループとも1単位目と違って軽快である。今日は目標までいけるという感触を持った。

       特に「小牧の商店街が発展する方策を提案しよう」「生活排水」をテーマにしている3グループについては、取材の中で分かった事実、自分たちの考えなどを表現する「小見出し」が5つ程度できていた。

       いくつか出てきた小見出しにさらに順序性をつけさせることにした。小見出しにも当然軽重があり、重要度が高いほど新聞では大きな活字が使用してあることに気づかせたいからである。考えた小見出しの中で一番重要なものはないかと問いかけ、実際の新聞を見せて、活字の大きさの違いに気づかせた。

       上記の2つのグループは支援をしなくてもレイアウトが進むようになった。ただし「生活排水」のグループについては、新聞上部からの下部にかけての「小見出し」の配置に流れがなく、一つの記事であれば、小見出しはさっと目で追って言いたいことが分かるように配置されていることを教え、位置の変更を指示した。

       「電気代を節約してお小遣いアップ」のグループは主小見出しを「必見」とし、新聞の上部に並べた。これについては「新聞そのものはどうしても読んでほしいことを書くわけで、必見というのはあまりにも当たり前のことではないか。もう一度考えなさい」と指示をした。その結果、「すべて分かる節約法」という表現に改まった。まだまだ練り上げたいのだが、子どもたちの様子を見ていると限界と感じ、その他のレイアウト作りに進ませた。

       先の2つのグループがレイアウトを完成させて、私のところへ持ってきた。小見出しの内容や字の大きさから、十分書きたいことが分かる内容であった。初めに大いにほめた。その上で「生活排水」のグループには市が取り組んでいる川についてのイベント内容が明確でない点を指摘した。また大西さんにも見ていただいたが、「商店街」のグループには「大型店・小売店いいところ」という小見出しについて、もっとインパクトがあるように変更したらどうかというアドバイスを子どもたちにしていただいた。

       西村先生がグループの様子をみるために多目的室に入ってみえた。「商店街」のグループのレイアウトを見ていただいた。「あんたたちの新聞、分かりやすいジャン」というお褒めの言葉。小見出しから内容が推測できる新聞であることが他の先生に認められたことで、ほっとした。

       「電気代節約」グループの指導には最後まで困った。どこまで指導すれば、ある程度のところまで来るのか。このグループには何を教え、何を学ばせるべきかがよく分からないまま、最後になったレイアウトのチェックを終え、2単位目を終了した。

  <大西さんからの指摘も含め、自ら学んだこと>

       「骨太」の「骨」が何かを明確にできていないこと、つまり何を教え、そこから何を学ばせるべきかがはっきりしないまま、新聞作りに向かったことを痛感。

       2単位の中で、「小見出し作りの方法」を教えることは骨を育てることだと実感。「小見出し」ができればプレゼンテーションで表現する言葉もすんなり決まるのではないかと気づく。「小見出し作り」についての授業化、本校で言う総合的な学習Bで取り入れなくてはならない内容なのかもしれない。

       レイアウトは新聞そのものを見ることで、子どもたちは自然に学ぶこと。形式指導にあまり時間をかける必要はないこと。

       活動内容を言葉で表現させるための「教師の問いかけ」の難しさを実感。

       新聞作りにおける「すっげえもの」の定義 → 読者を想定した上で「私だけが知っている、インパクトがある、驚く、覚えておこうとする」かなあ。

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