小牧初お目見え!笑福亭仁智スペシャル
平成14年7月7日(日)

演   目 
1 清貧の人々 源太と兄貴
2 川柳は心の憂さの吹きだまり
3 トクさんトメさん

パンフレットから

「朝のにじ消えて−雨半蔓生」の七月、広葉の木々はいずれも下暗がりとなって、いよいよ盛夏の装いとなってきました。お運びで御礼申し上げます。五十一回、また新たな気持ちでよろしくお願いいたします。 

さて、教育界の大変革である「尭全週き臼制」になって三ケ月が過ぎました。お子さまをお持ちのご家庭では、やはりこれまでとは違った土曜・日曜
の過ごし方にとまどいもおありになるのではないでしようか。「子どもを家庭や地域にもどす」という主旨から、家庭はともかく地域では非常な勢いで子どもたち向けのさまざまな取り組みが広がってきています。ちよっとしたブームといってもいいほどで、はたして長続きするのかしらという心配もあるほどです。

反面、子どもたちが学校へ登校する五日間はいきおい濃密なものとなり、「ゆとり」とは無縁の世界が根付きつつあります。七日間の三分の一近<が自分でプログラムする時間になるわけですから、生徒自身に「自ら学ぶ力」「自ら課題を見つける力」「自ら問題解決する力」などが求めれれることになります。いかにそうした力を生徒たちにつけることができるか、教師の苦悶する課題です(解決する力はなさそう)。 

「赤痢菌の発見者」として、多数の輝かしい賞を受けた志賀潔という科学者がいます。「自叙伝」に自ら書くところによると、彼は「生まれつき極く内気、おとなしいというより元気のない子」で、「自分の樽む所は、与えられた事を真面目に勉強し、命ぜられたことを地道にこつこつやつていく辛抱強さ」だと言っています。

彼は、今の子どもたちに求められる力とは違った、「与えられたこと、命ぜられたことを地道にこつこつやる」という力で、偉大な学者となったのでした。しかし、「命ぜられたことを地道にこつこつやっていく辛抱強い」男にとって、どのような師につくかは極めて書要なことで、幸運なことに彼の場合はかの北里柴三郎だったのです。「自ら学ぶ力」に懐疑的な態度をとるにしても、目の前にいる生徒たちにとつて、教師である自分が北里柴三郎たりえるか、これまたはなはだ心もとないかぎりです。 いろんな課題を残したまま、あと2週間で学校は夏休みに入ります。

からむニストから

「第51回小牧落語を聴く会」(小牧商工会議所会館)は笑福亭仁智の出演。仁鶴の筆頭弟子の新作派である。

名古屋場所の初日だったので相撲取りのマクラ。「(行司に)呼ばれても返事しまへんで」「ウガイくらい家でしてこい!」などのボヤキで受けて、「清貧の人々 源太と兄貴」に入る。ヤクザ二人が高利貸業が不振なので古風なカツアゲや因縁つけに次々に失敗する可笑しみ。老夫婦のたばこ屋で「おい、カネを出せ!」「ハイ、私、山田カネです・・・」というギャクの連続で福笑ほど濃くない。次の「川柳は心の憂さの吹きだまり」は、日常のスケッチの間に川柳をはさむ構成。「トクさんトメさん」は老人同士のやりとりなので、桂文珍の「老婆の休日」を連想。

書くと他愛もないクスグリでも、聞くと笑えるのは、演者の運びのよさだろう。実は、さのみ期待せずに出掛けたのだが、楽しめました。(楽互家)