教え子と語る

教員を24年間もやっていると、教え子から教えられることが多い。
自分も学び続けないといけないと肝に銘じることも多々ある。
とりわけ、最近話したN子さんとの話は、学ぶことについての彼女らしい視点があって勉強になった。
かつての教師と教え子でメールをやりとりしているうちに、何かもっとおもしろいことが互いに分かりそうな気になり、
こちらから自分のホームページに「教え子と語る」というコーナーを作りたいと提案した。
それがこのコーナーである。
どのような展開となるかは予想もつかないが、とりあえず始めてみることにした。
(平成14年12月16日記)

14.12.17

附属中で僕の数学の授業を受けてくれたのですが、10年前?を振り返ってもらうと、私の授業にはどんなイメージが残っていますか?

14.12.18

中学校二年生になって玉置先生の授業を受けるまで、数学の授業が楽しいものだと考えてみた事はまったくありませんでした。授業中はおとなしく、黒板の方だけを黙って見て、説明を聞いて、問題やって、その答えがあっているか間違っているかの繰り返しでした。小学校とは違い、理解しないでぱっぱっとやるには覚える約束事と解く問題が多すぎて、試験勉強はいやであまりやりません
でした。

それで初めて受けたテストで、小学校のうちにお目にかかったこともないような悪い点をとって、その場で大泣きしてしまいました。悪い点を取るのが嫌で、その後の2回のテストは勉強してそこそこの点(決していい点ではない)を取りましたが、数学は好きな教科ではなく、授業も楽しくありませんでした。

玉置先生の授業によって数学が楽しくなり、「明日は数学の授業があるから学校に行くのが楽しみ」と思うようになりました。

最初の授業では、問題の少なさに驚きました。たしか一枚のプリントに大きく場所を取った問題が2問、その下に理解の確認のための問題が2問あっただけで、それに一時間使っていたと思います。教科書は使わないで、もちろんたくさん問題を解く事もしませんでした。

たった一問にたっぷりと時間をとり、頭から先に全部説明してしまうのではなく、生徒は少しずつ発見的に考えて、それをまわりの生徒と相談したり、クラスで発言したりしました。そのたくさん出てくるアイディアの中には、見当違いなもの、説明不足なものもありましたが、先生はそれらに対して正しい、間違っていると決める事はありませんでした。全ての問題に対する解法のアイディアには間違っているものは存在しない(だってアイディアだから)、これは先生の授業の素晴らしい点の1つだと思います。そのでてくるアイディアを大切にする事により、個人の考えを尊重していると思います。

少し大げさな表現になりましたが、要は、授業で発言しても恥ずかしいと感じた事が一度もなかったということです。なぜなら、尋ねられる事は、問題の答えではなく、どうやって考えたら答えがでてきそうか、ということだったから、自由に考えたことを発言し、そこには「間違える」→「恥ずかしい」ということがなかったからです。今思うと、どんどん自由に出された考えはあくまでばらばらなので、そこで上手に解にまで導いていただけたのだと思います。当時はまだ子供でしたので、自分たちで解法を考えて導き出したような気になっていたのですが、それは先生が自然に、生徒達には分からないように導かせていたわけです。分からないようにそうさせていたのはすごいと思います。

まわりの生徒と話すことも私にはとても楽しいことでした。普通は授業では黙っていると思います。しかし、まわりの生徒と相談する事は知識の共有、つまり他人に説明することにより自分の考えをまとめて確認したり、他人の考えを自分の考えに取り入れたりすることになります。真理に対する探求を共同作業でやる事は一人で考えるよりずっと楽しく、分からない部分を補い合って、解に到達するのが早くなると思います。理解も早く確実だと思います。一緒に普通に問題を解くだけだと、答えの教え合いだけになり、あくまで知識の伝達は一方通行だと私は思います。なぜなら解は1つだけだから。しかし、その解へのアプローチの仕方を一緒に考えると、そのアイディアは先ほど述べた通りたくさんあるので、お互いにお互いの知識を伝達し享受することになると思います。

あとは問題自体が基礎的なもので、さっぱりわからないと言う事がありませんでした。必ずとっかかりはあり、思いつく事も必ずありました。すこし考えを述べれば、多少意味の無い物、解には直接関係の無い物でも必ず先生がそれを切り捨てずに活かしてくれる。そのことは大きな自信にもなりました。本当に、不要な発言と言うものはないように感じられていたのだと思います。私は塾へ行っていなかったので、いつでも授業で初めて学ぶ事ばかりだったのですが、それでも十分はじめから発言する事もでき、また他の塾へ行っている生徒の意見もあーなるほどと吸収する事もできたと思います。先生の授業では、他者との知識の共有という点において、塾へ行く事も否定はしないものであったのではないでしょうか。あくまで先生主体ではなく生徒主体で授業を作り上げて行く感じで、間違った方向に行こうとすると修正してくださったり、アイディアが詰まると少しヒントを出してくださったりして、舵取りは先生がなさっていました。数学は覚えるものではない。数学は、数やって慣れるものでもない。数学は発見であり、感動である。問題の解き方を、自分で考えて発見することの喜びを教えてくださったのが、先生の授業でした。

14.12.18

ほめすぎで照れくさいね。でも、あなたのことなので徐々に厳しくなると思いますけど。まずは、ほめといて・・・、というところでね。

14.12.28

先日お話ししたときに、あなたが中学生までに絶対に身につけておかなければいけないことは!と力説されていたことがありましたよね。あれを話してもらえませんか。

15.1.8

それは、読み書きそろばん(大きい声で本を読む、字を丁寧に書く、四則計算を間違えないようにする)、じっと座って人の話を聞くこと(落ち着き、知識の吸収)、友達をつくって遊ぶこと(社会性)です。付け加えてモラル的なもの(社会を形成する人間として絶対にしてはいけないことや、それをしたくなるという衝動を抑える理性、信頼など)をしっかり教えられるといいと思います。

15.1.8

我が校の中学生に直接語ってほしいようなことですわ。でも、まだまだ調子が出ていませんね。そうそう、今の教育はいかに役に立たないかをお聞きしましたね。あれ、メールに書いてほしいですねえ。