日本の数学 小倉金之助 岩波新書(昭和15年)

日本の数学は、まず最初は、中国の数学を受け入れまして、一方では、これを消化しながら、他方では、わが国の当時の事情に適するように、作りかえて、普及をしたのでした。

その中に、間もなく、中国の天元術(ある一つの問題を解くために、一つの未知数を有する代数方程式を立てること、並びにその方程式を解く方法を研究する)を改造しまして、点ざん(筆算による代数)という記号的な代数を、発明するようになった。この新しい代数、わが独自の代数の力によりまして、日本の数学は、中国の数学以上に、はるかに進展することが、出来たのであります。殊に円理の如きは、その一つでありまして、幕末の円理は、西洋における18世紀前半の微積分と、ある意味では、くらべることが出来るかと思われます。

しかしながら、封建鎖国時代の日本におきましては、和算は、「無用の用」として、「芸に遊ぶもの」として、特殊な進歩をとげたのですけれども、不幸にして、産業技術や自然科学の方面に、深い交渉を持つ学問の姿としては、ほとんど発達し得なかったのであります。

それで明治維新になりますと、わが国策のために、断然和算をすてまして、西洋数学を徹底的に採用する方針を、とったのでした。それで、色々な点で、ずいぶん無理をしながらも、わが国運の隆盛、わが社会の進歩に伴いまして、ついに今日見るように、世界の数学界におきましても、多く恥を取らないというところまで、到達したのであります。

いいかえますと、わが日本の数学は、明治維新に際しまして、封建社会にふさわしい、封建的な和讃を殺すことによって、現代に生き、世界的となることが、出来たのであります。

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しかしながら、そのためには、何と申しましても、まず国民大衆の科学的水準を高めまして、もっと科学的な地盤を、作らなければなりません。それには、国民大衆が、もっと科学的に物を考え、もっと数理的に事を処理するように、進まなければ、いけないと思います。国民大衆の日常生活から出発しまして、科学的精神を開発し、数学的教養を取り入れることが、大切だと考えます。

実は、こうあってこそ、国力というものも、本当に健全に増進するのだと思います。またこういう環境が作られてこそ、今日のような競争の激しい世界の学界におきまして、数学的天才を生むことも、できるのだと思います。

私には、科学的精神、数理的教養を欠いた国民の中から、数学の天才を生むことも、また真に実力ある国家を建設することも、期待することが出来ないであります。