学力低下問題と学習意欲
東京大学 市川伸一(指導と評価2002年5月号)

学力低下を問題にするときに、測りにくい学力や、学ぶ力としての学力にも注目する必要がある。
理解力、思考力、コミュニケーション力、さらには「学ぶ力としての学力」といわれる学習意欲、学習計画力、学習スキル、自己評価力、などに着目すべきであると考える。


学力低下に対処するためには、教科時間数や受験圧力ではなく、学ぶことの意義を伝えれるような社会全体的な取り組みが必要である。


学校は学問の価値を内在的にとらえすぎているところがある。たとえば、数学の実用的価値を体験的によく知っているのは、数学者や数学教師よりも、物理学者であったり、経済学者であったりする。
コミュニケーション場面における国語力の大切さを知っているのは、国語学者や国語教師よりも、ビジネスマンかもしれない。


けっして専門家や教科担任の教師の役割を軽視しているのではない。
学問自体の構造や内容に深く通じており、そのおもしろさや内在的な価値を知っているのはそれらの人々である。また、学問自体を発展させ、次の世代の後継者を育てていくのは、これらの人々でないとむずかしい。ただし、一方で学問的知識を使いながら、その有効性を実感できるような学習の場がないと、多くの生徒は追ってこれない。


これまでの学校教育は「基礎から積み上げる学び」という原則が暗黙的にあった。今後、総合的な学習などで期待されるのは「基礎に降りていく学び」、つまり、自ら関心をもった活動や追究を行うことから、必要感をもって基礎基本に立ち返ってくるような学習の流れをつくることであろう。


伝統的な学校教育では、「実用志向」と「関係志向」の動機づけが十分ではない。
社会の人々と交わりながら、学校での学習が自分の将来とかかわるものであるという学びの文脈をつくることが、学習意欲につながるのではないか。
社会の中で学問的知識を生かしながら仕事をしている人たちについて知ったり、かかわったりすることは大きな動機付けとなるだろう。


「なぜ学習意欲を高める必要があるのか」という素朴な疑問に、学習者自身が納得できるような状況設定をするのが、内発も外発も通じにくくなった学校教育の重要な役割となる。
学ぶことがヒトゴトではなく、自分の将来とかかわるものであるという意義づけ、すなわち「学びの文脈」を見いだせることこそ、学習意欲を高める正攻法ではないだろうか。