子どもに伝えたい<三つの力> 生きる力を鍛える 斎藤孝 ちくま新書

学校の主な役割は、物事ができない状態からできるようになるまでの上達のプロセス・論理を普遍的な形で把握させることにある。たとえば、逆上がりができなくとも、日常生活には支障はない。逆上がりを学校カリキュラムに入れる積極的な理由は、上達の一般的な論理をシンプルな形で自覚化させるところにある。スポーツや芸事を、上達の基本論理を身につける場として考えるならば、そうした活動はいわゆる「勉強」の上達と共通性を持ち、相乗的な関係にある。

親が子どもに伝えるべきものは、「上達の普遍的な論理」だと思う。どこの社会に行っても、そこで上達の筋道を見通してやっていくことができる力。この力を子どもに身につけさせることができれば、不安は、かなりの程度軽減されるのではないだろうか。

上達のコツを掴んでいれば、初めてやる仕事に対しても自信を持って取り組むことができ、結果として成功する。上達への確信がないままだと、退屈な反復練習をする期間に耐えられず、中途で挫折しがちになる。諸活動をバラバラな意識で行うのではなく、それらを通して上達のコツを掴まえるという目的意識をもって行う。こうした上達の普遍的論理への意識を喚起し続けるのが、親や教師の主な役割なのである。

では、その「上達の普遍的な論理」というのは、どんなものなのか。これにも当然様々な答えが考えられる。私の考えは、基礎的な三つの力を技にして活用しながら、自分のスタイルを作り上げていくということである。基礎的な三つの力とは、<まねる(盗む)力>、<段取り力>、<コメント力(要約力・質問力)>である。こうした力をある程度つけ、それを活かしながら自分にあったスタイルを探し、自分の得意技を見定めて、そのスタイルへ統合していく。

上達を根底から支えるのは、「あこがれ」である。これがなければ、上達に勢いはつかないし、そもそも上達することの喜びが生まれてこない。藤子不二雄が手塚治虫にあこがれたように、あこがれが根底にあれば、上達の意欲は湧き続ける。

技を盗むコツは、この「暗黙知」と「形式知」の循環を技化することにある。この循環には、的確な<要約力>や職人さんたちに対する<質問力>、<コメント力>などが大きな力を発揮する。また、仕事自体が「段取り」によって組まれているので、技を盗むということは、段取りを盗むということでもある。自分自身で段取りが組めるようになるまで修練する。これは同時に、<段取り力>を鍛えることにもなる。

自分でも気づいていなかったことに気づくためには、なんといっても他者の存在が必要である。相互に相手の暗黙知を刺激するようなディスカッションができるようになれば、場は必然的に活性化する。このような暗黙知を活性化しあう技は、企業のみならず学校の授業でも、本来は基本をなすものである。しかし実際の学校の授業は、形式知の膨大な量の伝達に終始している感がある。形式知を形式知として再生するだけの能力を問う試験では、もはや十分ではない。自分や他者の暗黙知を明確に把握するために、形式知化する力を鍛えるということが、将来の仕事をする力にもつながっていく。

また堀江教授からは、この力は企業など一般社会においても間違いなく重要な力であり、仕事を覚える段階ではとくに<まねる(盗む)力>が必要となり、数人の部下をまとめる中間管理職的立場になった時には、場を活性化させるような<段取り力>が求められるようになり、より上の管理職になった場合には、自分自身が何かをするというよりも、部下のした仕事に対して適切な質問やコメントをする力が重要になっていうのではないか、という指摘も受けた。

要約の基本は、肝心なものを残し、そのほかは思い切って「捨てる」ことにある。捨てると言っても、まったく無意味にしてしまうわけではなく、切り捨てたものが、残されているものに何らかの形で含まれているような関係を保っているのがベストである。要約力とは、すなわち、「重みづけ」を常に意識することである。会議などでよく見られることだが、些末な報告事項に会議の時間の多くを割いてしまい、肝心の審議事項を十分に議論する時間を失ってしまうということはよくあることだ。

笑わせるコツは、「間」だと言われる。話の内容は面白いのに笑いがとれない人と、内容はそれほどでもないのに「間」の取り方がうまいので大きなウケを得る人がいる。この「間」は、自分と他者の間の「間合い」であると同時に、「息の間」でもある。話す技術に焦点をあてるならば、話している主体としての自分と、それをできるだけ外側から客観的に据えた自分との間のズレを、上手に修正する技術である。

上達は、技の習得である。技を習得するためには繰り返し練習し、量が質に転化する瞬間を逃さないことが重要である。漫然とただ機械的に反復するというのでは、十分ではない。自分のやっていることを意識化する意識の鮮明さが、上達の速度を速める。

物事をうまくやるコツを掴まえる瞬間がある。こうした瞬間は、一定程度の時間、集中力が持続したときに訪れる。その世界に没入しつつ自分のやっていることを鮮明に意識できている時間が、ある程度続いたときに、コツが見出される。せっかく良い練習をしていても、集中力の持続が一定時間続かないと、コツを身につける瞬間が訪れにくい。つまり、上達の秘訣は集中力の持続にある。

人は、意味のないことを強制されるのに耐えられない。穴を掘ってまた埋めるという作業や山をスコップで移動させてそれをまた元に戻すという作業をやらされると気がおかしくなるといったことをドストエフスキーも書いている。学校での勉強があれほど嫌われるのは、そこに「意味」が足りないからではないか。その領域のみに閉じるのではなく、他の領域や仕事にどのようにつながっているかを説得できるコンセプトが必要なのではないか。領域をまたぎ越すビジョンを持つとき、同じ事柄でもまったく意味が変わってくる。そうしたビジョンにつながるコンセプトを提言したいと思いで、この本を書いた。