H14.10.8
田中さんの道徳授業から学んだこと
− 道徳授業の一形式発見 −

玉置 崇

1 はじめに
 4月から田中さんと何度か道徳授業について話し合ったり、授業を見せてもらったり、一度は途中で授業に参加させてもらったりして、いろいろなことを学んだ。「それは秘密です!(このフレーズが分かる人は何人いるか?(笑)」では、あまりにももったいないので、田中さんの了解を得てまとめてみることにした。
 ただし、どのようなことから、自分なりに言い切るまでになったかを書き始めると長くなりすぎるので、その部分は省く。これは、だれもが心しておくと、道徳授業の質が高まると考えたことのみ記述する。

2 田中さんの授業から見えた一つの授業形式

【導入】 
学級の子どもたちがなかなか清掃をしないので、勤労奉仕について考えさせようと思っていても、「みんな最近どう?掃除はしているかな?」などといった野暮な導入はしない。子どもは「ははあん、最後は掃除を一生懸命やりますと書けばいいのだ」と悟る。導入発問で子どもの気持ちを束ねる努力をするより、いきなり資料読みをした方がいい場合が多い。

【資料読み】
 資料は単純明快なものがいい。何人も登場人物が出てきて、耳だけで筋を追うことができない資料は、最初は避けた方がいい。複雑な資料は、主題について考えさせる前に、念入りに読み取りをする必要がでてきてしまう。
 資料は、教師が上手に読むことが一番である。感情を込めて、オーバーなくらいに読んだ方がいい。聞く力が低い子どものために、時折ミニ解説をいれる。「○さんが主人公だね」とか「△さんは泣いたんだね」とか。
 そして、一読した資料は、授業中には、よっぽどでない限り再読させない。再読させると、読み取りの授業となってしまう。

【あらすじを簡単に確認する】
 主発問をするために、「子どもの気持ちを整える時間=あらすじを確認する時間」ととらえるといい。
例えば、「ぼくの仕事は便所そうじ」という資料を扱った授業では、主発問は「西山さんは、なぜ頭を金づちでぶんなぐられたぐらいのショックだと思ったのか。」というものだった。その主発問をする前に、その場面に子どもの気持ちが集中するようにあらすじを確認した。西山さんがショックを受ける前は、嫌で嫌で仕方がなかったこと、そして、ショック後は一日で三度も便所そうじに取り組むように心境が変化したことを確認した。特に、嫌で嫌でたまらなかったという気持ちをとらえさせるために、子どものつぶやきにしたがって、黒板に大きな便器やはみ出してしまったうんち、目にしみるような臭いまで描いたのは、実に効果があった。こうした工夫があって、いっそうショック前後の違いが鮮明となり、それを引き起こした要因に注目することが自然の流れとなった。それは、主発問につながる、西山さんがおばあさんから受けた「頭を金づちでぶんなぐられたぐらいのショック」だったのだ。ポイントをしぼった無駄のないあらすじ確認が大切なのだ。この部分がうまく運ぶと、子どもたちは、自らなぜなのだろう?と考え始める。

【考えることは一つにする】
 多くを考えさせない。一番考えさせたいことを一つに絞って発問する。
 「ぼくの仕事は便所そうじ」では、上述したように「西山さんは、なぜ頭を金づちでぶんなぐられたぐらいのショックだと思ったのか。」これだけである。考えさせるコツは、西山さんの気持ちを絶対に資料から読みとらせないことだ。想像させるのだ。西山さんの気持ちに同化させるのだ。
 すると、子どもたちは思いもよらぬほど豊かで、心情を思いやった考えを出してくるものだ。「便所そうじ」の授業では、参観の藤江先生が思わず拍手するほどの意見が出た。
 これはあくまでも表面づらだけで言葉をとらえさせず、西山さんの状況を想像させて、しつこいほど子どもたちに問いかけた成果だった。「○○さんと同じです」と子どもが言っても、自分の言葉でいい直させると、必ずと言っていいほど、微妙に違ったとらえ方や表現がでてくるものだ。その微妙な違いを教師がしっかりとらえ、クローズアップすることでさらに話し合いは深まる。話し合いが主題に自ずと接近してくる。子どもの発言は、あえて教師がまとめて上手に言い直す必要はない。まったくの復唱でいい。
 また、学級が深く考えている状態は、次から次へ手が上がって発言するような状況ではない。考えているときは静かなものである。あせらずじっくりと子どもの発言を待つ。表情を見ていれば自分なりの考えが固まった子どもは必ずとらえられる。表情が動いた瞬間、指名をする。まちがいなく子どもは発言する。

【教師の呼びかけで心情を話させる】
 授業の終末をどうするか。基本的には話し合ったことをもとに、自己を振り返らせる。書かせることが一番である。その前の手だての一つとして次のような手法がいいことがわかった。
 田中さんの当初のねらいは、勤労意欲を喚起することだった。野暮な発問は、「西山さんのことを思って自分のこれまでの取り組みを書いてごらん」など。もちろん、このような発問はしていない。
 では、どのようにしたのか。これまで子どもたちを見てきて、主題に触れるような行動をした子どもを指名し、そのときの心情を聞いた。
「あなたは○○のときに一生懸命やっていたね、どんな気持ちだった?」「○○のときは大変だったね。どう思っていたの?」など、その子どものよさをクローズアップさせながら、そのときの心情を話させた。このようなやりとりをいくつかした上で、自分自身を振り返る時間を書くことで設定した。
 
 以上である。やはり授業を見ることが一番である。学ぶべきことが実に多い。いい勉強をさせてもらった。