学校支援ボランティアとともに創る教育=役立ち感は生きがい感=
小牧市立小牧中学校

はじめに

本校は平成十二・十三年度にわたり、文部科学省の研究指定・愛知県教育委員会・小牧市教育委員会の研究依嘱を受けました。研究テーマは「学校支援ボランティア活用研究」です。
そこで、本校として研究テーマを「学校支援ボランティアとともに創る学校教育=支援授業を通して育てる『役立ち感は生きがい感』=」と定めました。授業の中に地域や保護者の皆さんに入っていただき、ボランティアの方々ならではの力を発揮していただく新しい授業を創り出すことにしました。

授業と言えない授業

今、思い返すと、初めての授業実践で大失敗をしたことが研究推進の原動力となりました。
理科の授業です。地域や保護者の方々とともに創る授業を実践せよと言われても、これまでにないことですから暗中模索の状態でした。
そのときに、名古屋港水族館から学芸員の方が派遣していただけることを知り、すぐに飛びつきました。生物分野のまとめの授業に来ていただき、プロに子どもたちの様々な疑問に答えてもらおうというのが授業のねらいです。これはうまくいくぞ!と思っていましたが、実際にやってみると、「授業とは言えない授業」となってしまったのです。
原因はすべて我々にありました。学芸員の方は、中学生がどのような知識を持っているのか、どのような用語なら理解できるのかといったことや、一時間の授業を構成するのにはどのような配慮が必要なのかといったことはご存じありません。当たり前の話です。その当たり前のことに気づかず、生物学のプロに来ていただけるという事実だけに喜び、先を見通すことを忘れてしまっていたのです。まさに我々は授業のプロであることを忘れてしまっていました。
 子どもたちが書いた疑問に丁寧に答えてみえる学芸員さんを今でも鮮明に覚えています。そして、用語が難しく、言葉だけの伝達では少しもわからず、子どもたちも授業を参観している我々も正直なところ我慢をし続けた授業であったことをはっきりと思い出します。遠いところを来ていただいた学芸員さんに本当に申し訳ないことをしました。子どもたちの無反応さに「二度とこうしたことはやるまい!」と思われたのかもしれません。共に授業を創る立場を忘れてしまった授業のプロとしての大失敗です。

失敗事例の共有化

本校のよさの一つに、教員間がオープンであることがあります。互いに飾らず気取らず、困ったことは気軽に相談するという雰囲気があります。
 理科の授業から一夜明けた朝、職員の机上に一枚の報告用紙が配られました。
 そこには、昨日の授業は大失敗であったことと、なぜそのようになってしまったのか、そして今後の授業実践に際しての留意事項が書き並べてありました。
研究発表会後も続々と視察をしていただいたり、様々な機会に研究内容を発表させていただいたりしています。このように研究成果があがったのは、失敗を校内で共有化し、次の実践者に確かなバトンを渡せたことが功を奏していると思っています。

教師はプロデューサー

 失敗を契機に、教師が授業の主導権をにぎる、ボランティアの方に遠慮することなく積極的に関わる、打ち合わせは綿密にする、といったことが実践のポイントとして、徐々に挙げられるようになりました。それを集約した言葉が「教師はプロデューサーであれ」という言葉です。
 授業のねらいをきちんと定め、そのねらいを達成するために、ボランティアの方の我々教師が持っていない技量や経験を子どもたちに伝えていただく。ボランティアの方と子どもたちとの間に距離を感じたら、すかさず入り込む。例えば、使われた言葉が難しいと感じたら、「『気道確保』って、空気の通り道をちゃんとつくるということですよね」と補足をすることなど。総合演出家として、今度の授業はどうであろうかと考える視点が必要であることが明確になりました。

すべてはリアリティで集約

 二年間で六十ほどの新しい授業実践をすることができました。その六十もの実践を通して学んだことは膨大なものとなりました。
 あえてそれを一つにまとめてみると、「リアリティ」という言葉に集約されます。なぜ、学校ボランティアとの共同授業に魅力を感じるのかと問われたら、ボランティアの方が持ってみえるリアリティは、我々では絶対に子どもに伝えられないものであるからです、とお話をしています。

悩んでいる人が目の前にいる真実性

 道徳の時間にボランティアの方に来ていただいた授業を紹介します。
 我が校に勤務する職員の教え子で看護婦をしている方がありました。その看護婦さんが担当する病室での出来事です。
 その病室には、余命わずかという一人の男の子がいました。子どもは、やんちゃ盛りで、病室でも暴れて困っていたとのことでした。担当であることもあって、その子どもを注意したところが、両親から「あとわずかな命の子どもだから好きなようにさせてほしい」という抗議とも言える言葉が返ってきたとのことです。その看護婦さんは悩んだのです。子どもや両親の気持ちは十二分にわかる。しかし、そのままにしておくわけにはいかない自分の立場。いや、人として自分はどうしたらいいのだろうかと思い悩んでいたとき、恩師にその悩みを手紙で伝えたのです。
 それがきっかけとなり、その看護婦さんに来ていただいての道徳の授業が実現しました。
看護婦さんは淡々と子どもたちに自分の悩みを話されました。けっしてお話が上手であるというわけではありません。しかし、現実に悩んでいる方が直接お話をされるインパクトには、どのように優れた話し手であっても、また、いかに心情に訴えるように書かれた読み物もかないません。教師が何も補足することなく、病室での様子、子どもの様子、両親の思い、看護婦さんの悩みが子どもたちに伝わっていたようです。これがリアリティです。教師が、「我が教え子でこのように悩んでいる人がいてね」と言っても、当事者が目の前にいるという事実にはかないません。
 授業は活発な意見交換とはなりませんでした。本当に悩んでいる方がいる目の前で、気軽に自分の考えが述べられるものではありません。それだけ子どもたちは深く考えたのだと思います。まさにリアリティが生み出した貴重な一時間となったのです。

電話をかける姿勢?

 総合的な学習の時間では、とりわけ多くのボランティアの方に加わっていただきました。その中でも特に印象的なシーンが数多く生まれたのが、「電話のかけ方」という授業です。
 総合的な学習の時間では、子どもたちはあちこちに電話をかけて取材のお願いをします。そこで、電話が仕事では欠かせない事業所の方々に各クラスに入っていただき、教師と電話のかけ方の授業をしていただいたのです。もちろん、電話のかけ方のハウツー講座ではありません。電話をかけるときの心得を社会の方から伝授していただこうというものです。
 その中で、次のようなシーンがありました。
 「電話をかけるときの姿勢は?」と電気店の社長さんが子どもに聞かれました。授業を見ていた私は「電話をかけるときの姿勢」と言われても、受話器を持って・・・、そのようなことを聞かれるはずはありません。不思議な質問だなあと思っていると、社長さんは次のように話を始められました。
「電話をかける様子は相手には伝わらないと思うでしょ。その通り。相手にはわからない。でもね、電話をかけている姿を見ている人がいるのだ。そう!お店に来ているお客様。受話器を持って、背筋を伸ばし、さわやかに『はい、はい』と言っている姿を見たお客様はどう感じると思う?いい雰囲気のお店だなあって、信頼をしてくれるよ。いいかい、たかだか電話一つというけれど、とても大切なのだ」
思わず「リアリティに勝るものなし」という言葉が浮かびました。
 ホテルで電話交換をしている女性に入ってもらった教室では、鳥肌が立つような話を聞きました。
「私の仕事は毎日かかってきた電話をとって、関係のところに電話を回すだけの仕事。でもね、ホテルで一番初めにお客様とお話しする大切な仕事です。いつも笑顔で電話に出られているかを確かめるために、機械の横に小さな鏡を置いているのですよ」
けっして話が上手なわけではありません。しかし、確実に子どもたちに思いは伝わっていきます。まるでそれが見えるようでした。ピーンと張りつめた空気がしばらく教室に流れていました。

何が変わったのか

 学校支援ボランティア授業を推進してきて何が一番変わったか。
 当然、これまでにない新しい授業がボランティアの皆さんのお力添えで創り出すことが挙げられます。また、子どもが地域から注文を受けて学校外でボランティア活動をしてくる「注文ボランティア」という取組も始まりました。この研究のサブタイトルに掲げた「役立ち感は生きがい感」の具現化でもあります。
 しかし、一番学校全体が変容したのは、この研究を通して学校が自然に地域に開けてきたことです。学校の取組が自ずと地域や保護者に伝わり、理解を深めていただいたことだと思います。
「学校に足を運ぶなんて考えてもいなかった。子どもの前で話をするなんて思ってもみなかった」という声とともに、「子どもはいいねえ、今の学校はいろいろとやっているのだねえ」という声は、口づてで広がっていきました。ボランティアをお願いすると「ああ、○○さんもこの前、行かれたようですね」という言葉に、来ていただいた方が本校の取組を理解し地域の皆さんにお話しされていることがよくわかりました。
「小牧中の子どもは挨拶がよくできますね」とお褒めの言葉をよくいただきます。それは日ごろからたくさんの方が学校を訪問していただいているおかげです。どの学校においても「学校にみえた方には挨拶をしましょう」と子どもたちに呼びかけていると思います。しかしそれほど訪問者はないものです。本校においては、こうした取組を進める中でボランティアの方を初め、たくさんの視察の方が来ていただけます。子どもたちの挨拶に対して丁寧に返していただく言葉に、子どもたちは喜びを感じ、心を豊かにするのだと思います。「学校を開く」というのはけっして難しいことではありません。地域の方々にこうして足を運んでいただくだけでもできることなのです。我々教員もやりがいを感じますし、子どもたちも誇りに思うのだということをこの研究を通して実感しました。